塩竈フォトフェスティバル

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平間至 ロングインタビュー <2>

<1>からの続きです。

塩竈フォトフェスティバルの主催者である平間至さんに、フォトフェスを始めることになったきっかけや、その目的を聞くインタビュー企画。
 前回は、平間さん自身の写真観や人生観を聞くことができた。2回目となる今回は、アナログとデジタルの相違、現代写真に求められること、そして長い写真家生活のなかで育んだ独自の写真論など……よりディープな部分へと踏み込んでいく。


町おこしだけではダメ

——— ところで塩竈以外のフォトフェスティバルってご覧になったことはありますか?

平間 あまり数は多くないですが、塩竈フォトフェスが終わったあとで「倉敷フォトミュラル」を見に行きました。
 商店街のアーケードに垂れ幕のようにして大きく写真が展示されていて、すごくユニークで面白かったんだけど、その一方で、この商店街に写真が展示されていない状態を想像するとすごく寂しい感じがしました。
 どんなイベントでもそうだけど、祭りの後ってやっぱり寂しいものですよね。

——— でもアートを使った町おこし的なイベントって、どうしても一過性のものになってしまうのではないか、という印象があります。

平間 ああ…、でも町おこしっていう時点で失敗を含んでるような気がする。その土地に行って「いかにも町おこししてるな」って感じたとしたら、それはダメなんじゃないかな。

——— 確かに塩竈はあまり「町おこし町おこし」していないように思いました。僕が参加したのはポートフォリオレビューだけでしたが。

平間 逆に聞くけど、前回参加してくれた一人として、塩竈フォトフェスティバルの印象はどうでしたか?

——— 僕は学生の頃、北海道の東川フォトフェスティバルに遊びに行ったことがあって、とても楽しかった記憶があるんですが、写真そのものの面白さや、未知の作家とその作品に出会えた驚きや喜びよりも、地元の人たちの暖かい人柄の方がつよく印象に残っています。
 フレンドリーな雰囲気を自然に感じられることが、東川フォトフェスの魅力だとは思うんですが、でもやっぱり僕は、写真についての話をしたい、関わりたい、という気持ちが強くあったので、その点は少し心残りでした。
 
平間 作品や企画の内容が良かったではなくて、ただ「いい町だったね」で終わっちゃうのは少し残念ですよね。

——— もちろん塩竈もタクシーの運転手さんや、定食屋のおばさんがすごく親切で嬉しかったです。でも一歩ポートフォリオレビューの会場に足を踏み入れると写真を通してなにかを表現したいと考えている同年代の人たちが、真剣に写真の話をしている。良い意味で町おこしだけじゃなくて、写真で何かをしよう、生み出そうという雰囲気が全体に感じられて、とても気持ち良かったですね。

平間 うんうん。 

——— これは僕の個人的な印象ですが、最近のアートイベントやフェスティバルって、必ずアート以外の要素を重視してますよね。

平間 例えば?

——— 地元に密着するという前提で行うから、第一にその土地に住んでいる人でも楽しめる内容なんですよ、という要素が前面に押し出されすぎているように思います。もちろん誰でも楽しめる、っていうのは大切ですし基礎条件だとは思うのですが、例えば盆踊りとアートが同じ空間に並んでいることへの微妙な違和感を感じます。それはそれでユニークではあるし嫌いではないんですが…。

平間 そこは僕や菊田さんが塩竈フォトフェスティバルを始めるにあたって意識していた部分ですよね。
 実際、町おこしってその場所に来てもらっただけでも十分に成立していると思うんです。塩竈に来てもらって、寿司屋でごはんでも食べてもらえれば塩竈の良さってすぐ分かってもらえると思うんですよ。そこにさらに無理矢理アートでこじつけてもなー、って思います。
 だからこそ本当に写真を好きな人に来てもらいたいし、その好きっていう感じも人や世代によって様々なわけで、まずその部分の間口を広くしたいですね。その広さを確保するだけでもほんと大変なことですから。

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コミュニケーションの場をつくりたい

——— 話は変わりますが、平間さんが今度始められるギャラリー&暗室『pippo』のはなしを聞かせていただけますか?

平間 もともとフィルムが少なくなって、ゼラチンシルバー・セッションでイベントや展覧会をやってきたことの延長です。
 でも一時的に現れて消えてしまう空間って「点」で終わってしまいがち。僕はその非日常的な空間を日常的に持続させたいし、少なくとも写真を職業にしていて、しかもゼラチンシルバー・セッションや塩竈フォトフェスティバルに関わっている以上、自分で責任をとりたいんです。
 もともと写真館って写真好きの人たちが集まるサロンだったはず。情報交換したりカメラ談義を交わす社交の場でもあったわけですよ。でも、いまや「20分で現像プリントができます!」っていうDPEみたいな大量生産、大量消費型の店舗ばっかりになっちゃった。
 だけど、そんな場所で誰も写真の話なんてしないし、したいという雰囲気にもならない。プリントについても、ほんとは細かい指示だってできるんだけど、お客さんからプリントをもっと明るくしてくれませんか?みたいな相談すらできる雰囲気もほとんどない。それってすごくおかしいと思うんですよ。
 本当はお店の人と「いい写真ですねー!」「どこに行ってきたんですか?」そういうやり取りのできるコミュニケーションの場が写真館だったはずなんですよ。

——— いまは店頭でプリントしたい写真をPC上でお客さんが選んで終わりっていうのもありますよね。

平間 下手すると、お店の人とお客さんのあいだで会話すらないでしょう。パソコンとかケータイの情報ツールが発達して、生活は便利になっているけれど、逆に人間関係が薄くなっている部分が間違いなくある。
 僕は、写真ってまさしく関係性のアートだと思っているから、「何を撮るか」ではなくて「自分と世界のあいだにどういう関係性を結んでいくか」っていうのがいちばん大事なことなんです。
 そんな時代だからこそ、こういう場所をつくることで楽しいことができるんじゃないかな?

——— 暗室作業をしていれば、他人同士でも自然とコミュニケーションもとれますよね。でも正直、運営は大変じゃないですか?

平間 大変ですよー(笑)
 でも箱をつくって維持することはもちろん大切だけど、写真に常に関わっていること、動き続けることこそが大事なんだと思う。ぜったい採算は合わないだろうけど(笑)
 ……こういうふうにしゃべっていると、なんだか自分がとても熱い男みたいに思えてくるね。普段はむしろ「暑苦しいのやだ!」ぐらいに思ってるはずなんですけど。

——— 平間さん、めちゃくちゃ熱いですよ!!

平間 熱い男のような気がしてきました(笑)


アナログVSデジタル?

——— さきほど、フィルムの話をされていましたが、やはり仕事でもフィルムを使ってらっしゃるんですか?

平間 断然フィルム。やっぱりフィルムと比べるとデジタルは撮っているっていう実感が薄くって、愛着が沸かないんだよね。プリントして、物質になってもどこか他人事のようなかんじがする。
 やっぱり僕がなぜ写真をやりたかったかっていうと、何かを実感したい、体感したかったからなんだよね。僕にとっての実感っていうものがデジタルには無いとすると……じゃあなんのために写真をやってるんだろう、お金のため?って思っちゃうんですよ。

——— 僕は以前広告写真の会社に在籍していたことがあるんですが、3年前ぐらいには、もう95%ぐらいがデジタル化していたんですね。機材的にも充実し始めたころで、何百万円もする高価なデジタルフィルムバッグを使ったハイエンドデジタルカメラなんかはすごくキレイだなとは思ってたんですけど、さきほど平間さんがおっしゃっていたように、印刷してみると奥行きや距離感が無くっちゃうんですよね。たしかに存在しているはずなのに存在しないような不思議な感覚でした。

平間 デジタルのほうがすごくシャープで、アナログの方がポワンと曖昧な感じがしてるんだけどね。
 写真って何なのかっていうと、人の心って1と0の二進法的な世界に割り切れないわけじゃない。もっと混沌とした、あやふやでぼんやりしたもののなかにこそ人の気持ちはあるんだよ。シャープになったからそれが現れるんじゃなくって、その反対のところにこそ存在している。
 日本の文化っていうのは、例えば一つの言葉がいろんな意味合いを持っていていい意味でとても曖昧のもの。
 日本語でものを考えて、日常的に日本語にかこまれて育った日本の写真家たちが自分の感情をいかにして写真にあらわせるかって考えると、ある意味で英語的な明快さを持ったデジタルの世界はやっぱり難しいような気がする。

——— なるほど。これは個人的な期待ですが、今回の塩竈フォトフェスティバルでは例えばフォトグラム写真なんかが出てきたりすると面白いなと思っています。関係性を生みだすというのも写真の大きな意味だとは思いますが、デジタルカメラや携帯電話のカメラだからこそ生まれる新しい意味もあるはずです。
 だとしたら、逆説的にアナログだからこその意味を新たに発見することもできるんじゃないかと思います。その意味で暗室作業が大きな部分を占めるフォトグラムという技法には、ひとつの可能性があるんじゃないでしょうか。
 フォトグラムの作家ではないですが、菊田さんが紹介しているスティーブン・ギルも写真を土に埋めたり、写真の上にオブジェクトを置いて再撮りしてかなり広い意味でのアナログならではの質感や身振りを追求していますよね。

平間 超アナログだよね。

——— そうなんです。ギルのタンクローリーから花がばっと散るような写真なんて、すごく想像力豊かな世界ですよね。写真に関与するうえで、手触りや質感、立体感みたいなものを意識している…というよりもそうやって写真と戯れることがギルにとってほんとに楽しいことなんだと思うんですよ。本人も好きでやっているのがすごく感じる。

平間 ギルの写真も手法的に決して新しいものではないんでしょうけど、すごく楽しいよね。実は僕もギルの作品を1枚持ってるんだけど。やっぱりその良さっていうのは本人が楽しんでいることが感じられることだよね。

——— ということはやはり結論は…?

平間 「写真好きだー!」っていう(笑)。とにかく好きなんだーっていう写真を今回も見たいですね。
 あとね。いまの写真の流れが現代美術寄りになっていることが個人的に気になっているんですよ。ある意味で、現代美術的な視点や評価の軸が写真の可能性を狭めているようにも思うんだよ。
 それはなにかっていうと、昔の写真の巨匠ってさ、何を撮ってもその人の作品になるじゃない。例えば木村伊兵衛やアーヴィング・ペン、僕の好きなヨゼフ・スデックも。
 でも今の写真家って「これ」を撮らないと、その人の作品として認知されないでしょ。

——— アンドレアス・グルスキーとか確かにそう思います。

平間 ボタンを押したら写ってしまうっていう最も写真的な特徴を思うと、そんなにコンセプト重視で特化してしまって、そっちの方向にみんなで行ってしまうのはどうかと思う。やっぱり花を撮っても、人を撮っても、風景を撮っても、みんなその人の世界になっちゃうっていうほうが写真らしいよね。

——— 写真の魔力的、呪術的な部分ですね。

平間 もちろんそれが写真のいちばん難しいところだってのは分かるんだよ。誰にでもできることではないから簡単じゃないんだけど…僕はそんな人に出会いたいといつも思っていますね。

********

執筆者プロフィール:
島貫泰介
美術ライター&編集者。武蔵野美術大学映像学科写真ゼミ卒業。カメラマンアシスタントなどを経て、現在雑誌「美術手帖」にて展覧会情報冊子「ART NAVI」などを担当。
ブログ http://d.hatena.ne.jp/nukisuke/

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